湖底

爆裂ハートフルコメディ

「Wake Up, Girls!新章」第1話の感想

いよいよWake Up, Girls!新章が始まりましたね。本記事を執筆している現在、テレ東では2話まで放送が終わっていますが、私は配信組なので第1話時点での感想を書いていきます。

 

まず、ストーリーについて。1話のあらすじは続劇場版「Beyond the Bottom」で描かれたアイドルの祭典での優勝から2年が経った2017年現在のWUGの立ち位置を紹介するもので、アイドル界に不況が訪れ「男鹿なまはげーず」が解散し「I-1 Club」も仙台シアターを閉鎖する状況にあることや、WUGは相変わらず素人感が拭えず、久々の歌番組出演でもあわや遅刻というミスを犯す姿が描かれました。そして、アルバム発売に向け全国ツアーが決定したところでエンディングという流れ。

一体どんな話になるのかと不安に思っていましたが、続編の第1話としてはこんなものじゃないでしょうか?テレビアニメ第1期は実質的に劇場版「七人のアイドル」の続編でしたが、劇場版を観ていないとWUGの置かれた状況や登場人物の関係が分かりづらい構成だったのを省みると、新章はこれまでの話を知らない人間でも比較的入りやすいのではないかと思います(個人的には説明過多でない旧章の作りが好きですが)。

寄せ集めのメンバーが衝突を繰り返しながら社長の資金持ち逃げや悪徳プロデューサーによる水着営業、スキャンダル、ケンカ、メンバー脱退、ケガ、メジャーデビュー失敗など数々の試練を乗り越えてきたこれまでのWUGを知っている人間にとってはヌルく感じるかもしれませんが、歌番組でいきなり失敗するローカルアイドルというだけでも他アイドル作品とそれなりに違う雰囲気を醸し出させたのでは。今後どのような試練が描かれるかに注目したいです。

 

一方、演出面。これは正直言ってガッカリです。まず色々と言われているライブシーンについて。CG自体のクオリティについては私の中の基準が数年前のプリキュアEDで止まっているのでそれほど酷いとは思いませんでしたが、カメラワークがセンス無さすぎ。ライブの再現でもなく、歌番組の再現でもなく、ただ無意味にカメラをぐわんぐわん動かしているだけに見えました。今回のCGはWUGメンバーからモーションキャプチャしたとの事ですが、それならば実際のライブに近いカメラワークにしないと「二次元と三次元の融合」を視覚的に訴えられません。

そもそもモーションキャプチャについても、ただ実際の動きをそのまま再現しても何も面白くない。モーションキャプチャしたらその通りに動くのは当たり前ですからね。たとえば中の人の永野愛さんはWUGメンバーの中でも特にダンスが上手いのですが、演じる林田藍里は旧章ではダンスが苦手でメンバーの足を引っ張ってしまう存在でした。それが新章では永野愛理さんそのままのキレのある踊りを披露しているのです。キャラクターがこの2年間で成長した姿を描いているならいいのですが、新章劇中の林田藍里はメンバーを気遣うあまり自分の支度が後回しになったり、忘れ物をして出番に遅れそうになったりとむしろ旧作以上にポンコツ感が強調されており、ダンスシーンでの姿には違和感があります。

いくらWUGメンバーがキャラクターと一心同体とはいえ、同一人物ではない。なのにキャラが中の人と同じ動きをしてしまうと、声優が地声でアフレコするようなもので、「演技」が無いんですよね。実写のモーションをベースにした上で、もっとキャラに合わせた調整をしていく必要があるのでは。

 

これは全くの偶然で、本当に運命の悪戯としか思えないのですが、WUGが始まる前の2012年に某有名アニメ監督がモーションキャプチャのCGダンスアニメについて語ったインタビュー記事があります。

 

山本:涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)で、主人公のハルヒが他の女子高生達と一緒に バンド演奏するシーン(※7)があって、そこで ロトスコープ(※8)を使ったことがありました。演奏しているオッサン(笑)のプロミュージシャンをビデオカメラで撮影して、その映像を 1 コマずつプリントアウトして、アニメーターにトレースしてもらいました。そのうちある原画マンに楽器を演奏してる手のアップの原画を担当してもらったのですが、「実写をそのまんまトレースしただけだと、納得いかない」と言われたんです。もちろん、オッサンの手を女子高生の手に描き換えてはいるんですが、それだけじゃなく、タイミングも変えたいと。実際には、実写の方が真実なわけですが、彼女の進言通りにお任せしてみたら実にいい動きになったんです。そのとき「こいつはアニメーターの目を持ってるんだな」って思いましたね。これが 2D と 3D のちがいかもしれないなと。ある種 3D が甘えてる部分じゃないかな。

※7:バンド演奏するシーン
涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)12 話「ライブアライブ」での「God knows…」演奏シーンのこと。

※8:ロトスコープ
実写映像を 1 コマずつトレースし、アニメーションを作成する手法。忠実に動きを再現する場合もあれば、一見して同じだとは判らないほど、動きをアレンジする場合もある。ライブアクションとも呼ばれる。

野口:3D がモーションキャプチャを信じきってしまうことが、魅力のないアニメーションになる原因ではないかと?

山本:2D だと線 1 本から、全部想像して描かなければいけない。でも 3D って、なんとなく作れてしまって、嘘をついてないから、それで良いんだと思い込んじゃう。確かに、パースもデッサンも嘘はついてない。だから想像力が欠落しちゃうんですよ。でもね、2D のアニメーターは真実を目の前にして乗り越えようとするんです。あえて 3D を批判すると、そういう想像力がシステム上喚起されない部分があるんじゃないかな。一番感じるのは、最近流行りのダンス演出ですね。ほぼ 3D で作ってて、モーションキャプチャのデータをキャラクターに流し込んでる。これ以上の真実はないって思ってるかもしれないけど、そこから想像力を盛るのが本来のクリエイターの仕事なんです。でも、その手前で終わっちゃってる。

野口:僕も最初は気持ち悪いと感じたんですけど、あれは着ぐるみショーだと思うようにしてますね。

山本:2006 年に僕が演出した「ハルヒダンス」を、6 年経った今でも学生が文化祭とかで踊ってくれるのは、そういうことなんだろうなって思います。ハルヒダンス以降、色んなキャラクターがダンスを踊ったけど、火はついてない。自分たちのタイミング、自分たちの気持ち良さ、自分たちの想像力をどこまで盛れるかが、クリエイターの仕事なのに、モーションキャプチャを流し込んで終わってる。

 

 5年後に自分が監督から外された自作の続編でモーションキャプチャのCGダンスが描かれてしまったことを思うと本当に諸行無常という感じがしますが、ここで山本監督が語っていることは非常に的を射ていると思います。

有名な話に、映画「ブラックホーク・ダウン」(2001)では、ヘリコプターの墜落シーンを実物大模型を使って撮影したものの、重量感が足りずに結局そのシーンはCGで作り直したというものがあります。映像作品における「リアル」とは観客が感じる「リアル」さであり、必ずしも現実をそのまま映せばいいわけではないという好例です。

 

もう1点、ちょっと言いがかりに近いかもしれませんが、1話冒頭の仙台の風景を写したカットについて。

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青葉城址から仙台市街地方面を見渡す景色で、おそらくロケハンで撮影した実写をベースに起こしたのでしょうが、なんかいまいちパッとしない画です。確かに3月の仙台なので山が落葉してて色彩に欠けるというのはある意味「リアル」なんでしょうけど、仙台という舞台を伝えるのに、あえてこのカットを選んだ理由がよくわかりません。3.13という「3.11から一歩進んだ」*1日付を強調するなら、もう少し望遠で市街地越しに海が映るような構図でもよかったのでは。

 

 私は、アニメーションの魅力は「画面に映るものや音声の全てを人間が作る」ことだと思っています。実写の物理的な制約を受けることなく、背景からキャラの動き、カメラの置き方、環境音、声優の演技、全てを制作者の意思によってコントロールできるのです。

私がWUGにハマった理由の一つは、旧章の画面の端々、セリフの一言一言から山本寛監督のアイドルへの想いを感じたからです。山本監督本人の発言やらはともかく、少なくとも旧章やこれまでの作品で、確かな想いを持って作品を形にしてきたその実績を私は評価しています。(そもそもアニメーション監督に正しい人格を求める必要があるのか?マトモな脳味噌した人間が面白いアニメを作れるのか?と思っています。WUGちゃんの活動を妨げる発言は謹んでほしいところですが)。

 

残念ながら今のところ、新章からはあまりそれを感じることができていません。もちろん私の受け取り方が下手なだけで、制作側は画面に想いを込めまくっているのかもしれませんが、実感として乏しいというのが正直な感想です。

これから話が進むにつれて、新章が板垣監督ならではの目線でWUGを映し出した、想いの伝わる作品になっていくことを望みます。

*1:4thライブツアーのグッズにつける数字をメンバーが選んだ際、「313」を選んだ仙台出身の永野愛理さんが語った理由